***my days***--- 不安定な心を抱えつつ子育てしている、私の日常 --- |
親子の距離
2009-06-30-Tue-22:49
先日受けた仕事の面接の事で、母に案の定・・・(^^;
私が仕事をする事について、ビシッと反対されてしまいました。
「お母さんは大反対や」と。
確実に反対されるだろうなぁとは思っていたので
(だからこそコッソリ面接へも行った訳ですが)
反対された事自体には驚きはなかったんですが
何て言うんでしょうか。。。。
もう38歳にもなっている、一応?二児の母として独立している
大人の娘がやろうとしている事に対して・・この言葉ってなぁ、、と
ちょっと心の中がモヤンモヤンしてしまいました。
先日の日記にも書いたとおり、今はあの面接のおかげで
前向きな気持ちで「今はまだ外に出て働ける時期じゃない」と
分ったので、仕事を今すぐするつもりはもちろん無いんですけども、
でも、案の定なこの母の言葉を聞くと、
改めてもう一度「やっぱり今は無理なんだな。。。」
と、自分自身に再確認せずにはいられませんでした。
でも。
誰かを頼りにして、仕事を始めたりしてはいけない事は
十分、分っているつもりなんですが、
徒歩10分という場所に住んでいて、でもやっぱり頼れないんだなと
確認してしまう気持ちと言うのは、、私が甘えてるだけなんでしょうか?
他の誰かと比べたりするなんて、ナンセンスだし
意味の無い事だって分ってるんですけども、、
同じように実家の側に住んで、仕事をしている人達が一杯いる環境なので
いざと言う時に子守を頼んだり、だとか
週に一度は夕食を食べに行ってるだとか、、
そんな話をポロポロ聞くと
何だか。。。私って親に対して距離を持ちすぎてるんだろうか?とか
遠慮しすぎてるんだろうか・・・??とか
逆に、家の親って何か頼みにくいよなぁ・・、とか思ってしまい
親と子の距離ってほんとにそれぞれなんだなぁと
つくづくと考えさせられました。
どちらが良いとか悪いとか、そういう事ではなくて、ですよ。もちろん(^^)
私は常々、娘達に対して「親子だから」と言う言葉で起こる
上下関係を出来るだけ、作りたくないとは思っているんですが
(普通にしてても親子って上下関係の塊みたいなもんですから・・)
その自分のやろうとしている形は、明らかに自分が育ってきた
価値観とはちょっと違う形なんですよね。。
それは、自分が確かにそう納得して、そうしたいと思ったから
やってきた事なんですけども
そのせいだけではないにせよ、時々娘達の言葉遣いなどの中で
「それはダメでしょっっ!!」と瞬間湯沸かし器も真っ青な勢いで
カッと頭に血が上るような一瞬が起こったりするのです。
親と子だから対等ではない。
でも、親と子と言う関係ではあるけど
同じ人間同士で、人間関係を作っていく家庭の中の仲間でもある。
だから、基本的にはお互いにちゃんと意見を言い合って、
(相手はまだ4歳と6歳と言う子供ではありますが)
誤解があれば訂正したり、悪い事をしたら謝ったり、、
ちゃんとそういう事をしながら生活していきたいと思ってるんですが
ともすると、、それが方向を間違えて娘達の中に許しがたい「生意気」を
作り出す事があるのです。
それが、悩ましい。
結局、それを正す為には
「お母さんにそんな事を言って良いと思ってるのっ!?」
と、印籠を振りかざす黄門様のごとく、母親風を吹き散らす事になり・・
結局、私も上下関係に根付いた親子関係しか作れないんだろうか・・・
とか、
私がこんな親子に家族になっていきたいと思う形って
単なる理想なんだろうか・・・?
とか、
悩みはあっちへこっちへ流れます。
子育てに正解なんて無い、とは良く言われる言葉ですが
本当に子育てしているこの日々は、一日一日が自問自答の繰り返しだと
あれやこれや色々考えるに、そう思う今日この頃の私なのでした。
私が仕事をする事について、ビシッと反対されてしまいました。
「お母さんは大反対や」と。
確実に反対されるだろうなぁとは思っていたので
(だからこそコッソリ面接へも行った訳ですが)
反対された事自体には驚きはなかったんですが
何て言うんでしょうか。。。。
もう38歳にもなっている、一応?二児の母として独立している
大人の娘がやろうとしている事に対して・・この言葉ってなぁ、、と
ちょっと心の中がモヤンモヤンしてしまいました。
先日の日記にも書いたとおり、今はあの面接のおかげで
前向きな気持ちで「今はまだ外に出て働ける時期じゃない」と
分ったので、仕事を今すぐするつもりはもちろん無いんですけども、
でも、案の定なこの母の言葉を聞くと、
改めてもう一度「やっぱり今は無理なんだな。。。」
と、自分自身に再確認せずにはいられませんでした。
でも。
誰かを頼りにして、仕事を始めたりしてはいけない事は
十分、分っているつもりなんですが、
徒歩10分という場所に住んでいて、でもやっぱり頼れないんだなと
確認してしまう気持ちと言うのは、、私が甘えてるだけなんでしょうか?
他の誰かと比べたりするなんて、ナンセンスだし
意味の無い事だって分ってるんですけども、、
同じように実家の側に住んで、仕事をしている人達が一杯いる環境なので
いざと言う時に子守を頼んだり、だとか
週に一度は夕食を食べに行ってるだとか、、
そんな話をポロポロ聞くと
何だか。。。私って親に対して距離を持ちすぎてるんだろうか?とか
遠慮しすぎてるんだろうか・・・??とか
逆に、家の親って何か頼みにくいよなぁ・・、とか思ってしまい
親と子の距離ってほんとにそれぞれなんだなぁと
つくづくと考えさせられました。
どちらが良いとか悪いとか、そういう事ではなくて、ですよ。もちろん(^^)
私は常々、娘達に対して「親子だから」と言う言葉で起こる
上下関係を出来るだけ、作りたくないとは思っているんですが
(普通にしてても親子って上下関係の塊みたいなもんですから・・)
その自分のやろうとしている形は、明らかに自分が育ってきた
価値観とはちょっと違う形なんですよね。。
それは、自分が確かにそう納得して、そうしたいと思ったから
やってきた事なんですけども
そのせいだけではないにせよ、時々娘達の言葉遣いなどの中で
「それはダメでしょっっ!!」と瞬間湯沸かし器も真っ青な勢いで
カッと頭に血が上るような一瞬が起こったりするのです。
親と子だから対等ではない。
でも、親と子と言う関係ではあるけど
同じ人間同士で、人間関係を作っていく家庭の中の仲間でもある。
だから、基本的にはお互いにちゃんと意見を言い合って、
(相手はまだ4歳と6歳と言う子供ではありますが)
誤解があれば訂正したり、悪い事をしたら謝ったり、、
ちゃんとそういう事をしながら生活していきたいと思ってるんですが
ともすると、、それが方向を間違えて娘達の中に許しがたい「生意気」を
作り出す事があるのです。
それが、悩ましい。
結局、それを正す為には
「お母さんにそんな事を言って良いと思ってるのっ!?」
と、印籠を振りかざす黄門様のごとく、母親風を吹き散らす事になり・・
結局、私も上下関係に根付いた親子関係しか作れないんだろうか・・・
とか、
私がこんな親子に家族になっていきたいと思う形って
単なる理想なんだろうか・・・?
とか、
悩みはあっちへこっちへ流れます。
子育てに正解なんて無い、とは良く言われる言葉ですが
本当に子育てしているこの日々は、一日一日が自問自答の繰り返しだと
あれやこれや色々考えるに、そう思う今日この頃の私なのでした。
人の性
2009-06-28-Sun-01:07
つらつらと(チュウハイ片手に)考えてみると・・
つくづく人間って言うのは、欲している生き物だなぁと思ってしまいました。
(自分のことを)
理解して欲しい
愛して欲しい
助けて欲しい
欲しい・欲しい・欲しい
まさに、欲の塊なのかも知れません。
分って欲しい人のオーラは強烈です。ジンジン痛いほど伝わります。
それはもう、肌に刺さるほどに感じます。
でも、私は聖者ではもちろん無いので、受け止めて理解しようとしても
当然、限界もあるし自分の中でそんなに上手く浄化も出来ません。
友達の事は助けてあげたいし
夫の事も支えてあげたい
あげなくちゃいけないって思うけれど
そう思う自分の後ろ側で、もう1人の自分が
胸を掴んで苦しくて悶えているのです。
(もうダメだ、テンパッテルから。苦しい苦しいっ、って)
理解しようとする事は、そのためには多分
一旦、その相手の痛みや悩みを自分の中に取り込まないと
出来ない事なのかも知れません。
取り込むからこそ、想像する事が出来て
そこから・・・多少なりとも「分る気がする」と言う共感に似た
感情を生み出す事が出来るのではないかと思うのです。
人は、究極のところ、自分が経験した事以外の事については
どうしたって本当に「共感」したり「理解」したりする事は
出来ないんだと思うのです・・・普通の人間には。
実は最近、何だか私の周りには「分って」オーラを発する人が
目立つなぁ・・・と思っていたんですが
それは違うんですよね。多分。
目立つなぁ、と言うのではなくて、「分って欲しい」と言うのは
誰でも持っているベーシックな感情なんだろうなぁと
(もちろん、人によって強弱はあるでしょうが・・・・)
何だかふと、そう思いました。
そして、そんな風に感じる自分自身こそが正に
「分って欲しい」と常に、ガツガツ飢えている人間なんだろうなぁと
(こうしてブログを書くこと自体もそうだし・・・)
思った、のでした。
分って欲しい
イコール
自分を愛して欲しい
なんでしょうね。
そしてその「愛」と言うのは、ものすごく根源的な
きっと・・・それこそ無条件に抱き締めてもらいたいと言うような
本能的とも言える、愛の原点=母親からの愛情で、
それを今もずっと、こんな歳になった今でも、私自身の中に
飢えている何かが、、、あるのかもしれないと
ふと、思ったりしたのでした。
6歳と4歳の娘が毎日のように聞く、この言葉
「母ちゃんは○○ちゃんのこと、好き??」
何度も何度も、嫌になるぐらい毎日のように繰り返し繰り返し
娘達が私に問うてくるのは・・・
もしかしたら・・・、私自身の深層心理が娘達にその言葉を
言わせているのかも、知れません。
自分が何度もそう聞きたかったんじゃないか・・・と。
自分の子供が可愛くない母親なんて居るはずが無いのに。
(それは、自分が母親と言うものになってようやく分りました)
でも、子供って(人間って)根本的に自分が愛されてるんだろうか?
自分は必要とされてるんだろうか?
自分はココに居て良いんだろうか??
ともすれば、うっかりと、そんな事を思ってしまうものなのかも知れません・・。
自分の周りに出てくる言葉、聞こえてくる言葉と言うのは
つまりは・・突き詰めれば、自分の心がそう周りに
言わせているものなのかもしれない、という事を
何だか・・・こうして文章に書きながら改めて思いました。
つくづく人間って言うのは、欲している生き物だなぁと思ってしまいました。
(自分のことを)
理解して欲しい
愛して欲しい
助けて欲しい
欲しい・欲しい・欲しい
まさに、欲の塊なのかも知れません。
分って欲しい人のオーラは強烈です。ジンジン痛いほど伝わります。
それはもう、肌に刺さるほどに感じます。
でも、私は聖者ではもちろん無いので、受け止めて理解しようとしても
当然、限界もあるし自分の中でそんなに上手く浄化も出来ません。
友達の事は助けてあげたいし
夫の事も支えてあげたい
あげなくちゃいけないって思うけれど
そう思う自分の後ろ側で、もう1人の自分が
胸を掴んで苦しくて悶えているのです。
(もうダメだ、テンパッテルから。苦しい苦しいっ、って)
理解しようとする事は、そのためには多分
一旦、その相手の痛みや悩みを自分の中に取り込まないと
出来ない事なのかも知れません。
取り込むからこそ、想像する事が出来て
そこから・・・多少なりとも「分る気がする」と言う共感に似た
感情を生み出す事が出来るのではないかと思うのです。
人は、究極のところ、自分が経験した事以外の事については
どうしたって本当に「共感」したり「理解」したりする事は
出来ないんだと思うのです・・・普通の人間には。
実は最近、何だか私の周りには「分って」オーラを発する人が
目立つなぁ・・・と思っていたんですが
それは違うんですよね。多分。
目立つなぁ、と言うのではなくて、「分って欲しい」と言うのは
誰でも持っているベーシックな感情なんだろうなぁと
(もちろん、人によって強弱はあるでしょうが・・・・)
何だかふと、そう思いました。
そして、そんな風に感じる自分自身こそが正に
「分って欲しい」と常に、ガツガツ飢えている人間なんだろうなぁと
(こうしてブログを書くこと自体もそうだし・・・)
思った、のでした。
分って欲しい
イコール
自分を愛して欲しい
なんでしょうね。
そしてその「愛」と言うのは、ものすごく根源的な
きっと・・・それこそ無条件に抱き締めてもらいたいと言うような
本能的とも言える、愛の原点=母親からの愛情で、
それを今もずっと、こんな歳になった今でも、私自身の中に
飢えている何かが、、、あるのかもしれないと
ふと、思ったりしたのでした。
6歳と4歳の娘が毎日のように聞く、この言葉
「母ちゃんは○○ちゃんのこと、好き??」
何度も何度も、嫌になるぐらい毎日のように繰り返し繰り返し
娘達が私に問うてくるのは・・・
もしかしたら・・・、私自身の深層心理が娘達にその言葉を
言わせているのかも、知れません。
自分が何度もそう聞きたかったんじゃないか・・・と。
自分の子供が可愛くない母親なんて居るはずが無いのに。
(それは、自分が母親と言うものになってようやく分りました)
でも、子供って(人間って)根本的に自分が愛されてるんだろうか?
自分は必要とされてるんだろうか?
自分はココに居て良いんだろうか??
ともすれば、うっかりと、そんな事を思ってしまうものなのかも知れません・・。
自分の周りに出てくる言葉、聞こえてくる言葉と言うのは
つまりは・・突き詰めれば、自分の心がそう周りに
言わせているものなのかもしれない、という事を
何だか・・・こうして文章に書きながら改めて思いました。
自分の感情に気付く
2009-06-28-Sun-00:44
今日(ん?正確には昨日)の夕方。
実家に住んでいる弟からの伝言と、母から電話がありました。
「何かパソコンを貸して欲しいから今から行きたいって言ってるねんけど」
と。
時刻はそろそろ5時になろうか?と言う頃。でも、ちょうど私は
子供達を預かってくれていた友人と一緒に公園で合流する予定に
なっていて。それを伝えて弟の件は断りました。
そして。夜、8時ごろ。弟から家に電話が。
「あんな、今からパソコン借りに行っても良い?」
と。
くどいようですが!時間は夜の8時。
チビ2人おる家の訳です。いくら姉弟とは言え
その時点で常識的にアウトなんじゃ!?と思うのに
それはとりあえず、さて置いて・・それは言わず。
今から遠距離の夫とテレビ電話をする事になってる、事。
子供達を寝かせつける時間になるから困る事。
それを伝えて、弟には断りました。
(一応、明日の昼なら良いよとも付け加えました)
したらば。
「ぇえーーーーっっ」と
電話の向こうでブーイング(怒)
「明日は俺の都合が悪いねん」
(そんなん知らんがなっっ)
「テレビ電話ってパソコン使うん?」と。
(そーーいう問題ちゃうやろっ!?)
で。結局、まぁ断りました。
その後は特に、その電話の事も弟の事も考えていた訳じゃなかった
んですが、どーーーも心の中がモヤンモヤンする訳です。
苛々とも違う、圧迫感のような不快感が胸の中にモヤモヤと。
調子悪いんか?自分??と、自分にレイキを当てようとするも
その目的がハッキリしなくて、、モヤンモヤンがなかなか消えず。
魔女裁判(ドラマです)を見終ったちょうどさっきになって、
やっと。「あーー。私、ムカついてたんだ。弟の言葉に」と
気付きました。
いくら花の独身とは言え、もう30歳の立派な?社会人なのに
子供のいる家庭がどんなか、なんて想像も出来ないかもしれないけど
でも、でもですよ!??ちょっとは想像つくんでない?と。
少なくとも他人では無いんだから。
・・・・・と。
「エーーッ(怒)」と逆切れされたことも更に
私の中の怒りを増殖させたもようでして、
だったら、パソコンぐらい買えよ、と。
以前、金曜の夜10時ごろにパソコン貸して〜と
やって来た時は、明らかにネットに繋がったパソコンが緊急?に
必要な理由をちゃんと事前に言ってくれたし、
まぁ、子供達が寝てしまった後の時間だったので
それなりにはOKだったんですが
8時、て。
そりゃまぁ、分らないとは思うんですけどもね。
子供のいる家の夜の8時頃がどんな状態か・・・なんて。
見た人、知ってる人でないと分らないのも、分りますよ。
でもねー、「無理なんや」と言われて、エーーッて。
逆切れは無いでしょうよ?30歳のイチ社会人として。良識として。
いくら姉弟でも。こっちは一家の主婦で、二児の母で、言うとくけど
暇じゃーーないんですからね??
三食昼寝つきで、ぐーたらのんびりやってると思ってるかもしれないけど
そりゃまぁ、そんな風に口には(私が)出してしまってるかもだけどね、
でも、普通「無理なんや」って事情を聞けば、「そっか、ごめんな。」くらい
大人だったら言うんじゃーないでしょうか??
何の為にパソコンを使いたかったのかは分らないけど
(多分、音楽データを取り込むとかに使いたかったんじゃないか・・
って気がするんだけど)
別に貸すのが嫌って訳じゃないんですけどね、
でも一応、パソコンって「ぱーそなるこんぴゅーたー」なんですよ。
パーソナルなもんなんです。個人情報満載だし、
うっかりクリックしたら何が出てくるやら・・・ドキドキも満載です。
でも、弟だから、姉弟だから良いよって気軽に言える訳です。
それをねー、当たり前って思ってもらっちゃー困るんです。
いくら、近くに住んでるからって。(徒歩10分)
悪気がないことも、分らないからだって事も分ってますが、
分ってはいますが・・・・
でも、私が心の中に「ムッッ(怒)」を感じた事もまた事実で。
今までなら、まぁでも我慢するかと、その怒りを黙殺するよう
自分で自分の心をなだめ納得させるように仕向けたんですけども。
もうそんなのは、本当はいけないんだと私は知ってしまったんです。
自分の感情は黙殺なんてしちゃいけないって。
誰も彼も自分の感情中心に生きていて
それが当たり前で、それが自然な事なんだって。
で。↑って言うなら・・・
私だってそうであって悪いはずがないじゃないか・・って。
怒ったって、ムカついたって良いじゃんか、って事に
何も、その自分の中に起こった「怒り」と言う感情を
無かったことに・・なんて頑張る必要は全然無いんだって事に
この弟の一件を心の中で昇華しようとして途中でやめて、
気付いたんでした。
自分は自分以上の人間にはなれない代わりに
自分以下の人間になる事も無い訳で
思うように自分が心をコントロール出来ないからって
自分で自分を卑下する必要はないし
ましてや、自分を責める必要も無い。
逆に。自分に沿わないような理想の自分を無理やり自分に
被せようとしてもダメな訳で。
あるがままの自分以上の自分を、勝手に自分自身に求めては
いけないんですよね。
それじゃぁ、いつまで経っても自分で自分を認めるなんて事、
死ぬまでできる訳が無いんです。
今感じている感情が、今の自分のありのままの姿。
怒り、イラつき、羨ましがりしている自分が
それそのものが今の本当の自分の姿。
でもそれが、悪い訳じゃない。
だって、まだ私は進化の途中なんだから。
怒ったって良い。
その感情だって大事な私の一部。
私は今日、弟にムカついた。
それが、今の私自身の感情。素直な今の自分の心。
それが今の私の立ってる場所。
光り輝く美しい場所を目指したい、そう思ってはいるけれど
でも、今は私はここにいる。それが今の自分。
弟との些細な一件で得た「ムカつき」と言う感情のおかげで
今の自分のいる場所に気付けた気がした私だったのでした。
実家に住んでいる弟からの伝言と、母から電話がありました。
「何かパソコンを貸して欲しいから今から行きたいって言ってるねんけど」
と。
時刻はそろそろ5時になろうか?と言う頃。でも、ちょうど私は
子供達を預かってくれていた友人と一緒に公園で合流する予定に
なっていて。それを伝えて弟の件は断りました。
そして。夜、8時ごろ。弟から家に電話が。
「あんな、今からパソコン借りに行っても良い?」
と。
くどいようですが!時間は夜の8時。
チビ2人おる家の訳です。いくら姉弟とは言え
その時点で常識的にアウトなんじゃ!?と思うのに
それはとりあえず、さて置いて・・それは言わず。
今から遠距離の夫とテレビ電話をする事になってる、事。
子供達を寝かせつける時間になるから困る事。
それを伝えて、弟には断りました。
(一応、明日の昼なら良いよとも付け加えました)
したらば。
「ぇえーーーーっっ」と
電話の向こうでブーイング(怒)
「明日は俺の都合が悪いねん」
(そんなん知らんがなっっ)
「テレビ電話ってパソコン使うん?」と。
(そーーいう問題ちゃうやろっ!?)
で。結局、まぁ断りました。
その後は特に、その電話の事も弟の事も考えていた訳じゃなかった
んですが、どーーーも心の中がモヤンモヤンする訳です。
苛々とも違う、圧迫感のような不快感が胸の中にモヤモヤと。
調子悪いんか?自分??と、自分にレイキを当てようとするも
その目的がハッキリしなくて、、モヤンモヤンがなかなか消えず。
魔女裁判(ドラマです)を見終ったちょうどさっきになって、
やっと。「あーー。私、ムカついてたんだ。弟の言葉に」と
気付きました。
いくら花の独身とは言え、もう30歳の立派な?社会人なのに
子供のいる家庭がどんなか、なんて想像も出来ないかもしれないけど
でも、でもですよ!??ちょっとは想像つくんでない?と。
少なくとも他人では無いんだから。
・・・・・と。
「エーーッ(怒)」と逆切れされたことも更に
私の中の怒りを増殖させたもようでして、
だったら、パソコンぐらい買えよ、と。
以前、金曜の夜10時ごろにパソコン貸して〜と
やって来た時は、明らかにネットに繋がったパソコンが緊急?に
必要な理由をちゃんと事前に言ってくれたし、
まぁ、子供達が寝てしまった後の時間だったので
それなりにはOKだったんですが
8時、て。
そりゃまぁ、分らないとは思うんですけどもね。
子供のいる家の夜の8時頃がどんな状態か・・・なんて。
見た人、知ってる人でないと分らないのも、分りますよ。
でもねー、「無理なんや」と言われて、エーーッて。
逆切れは無いでしょうよ?30歳のイチ社会人として。良識として。
いくら姉弟でも。こっちは一家の主婦で、二児の母で、言うとくけど
暇じゃーーないんですからね??
三食昼寝つきで、ぐーたらのんびりやってると思ってるかもしれないけど
そりゃまぁ、そんな風に口には(私が)出してしまってるかもだけどね、
でも、普通「無理なんや」って事情を聞けば、「そっか、ごめんな。」くらい
大人だったら言うんじゃーないでしょうか??
何の為にパソコンを使いたかったのかは分らないけど
(多分、音楽データを取り込むとかに使いたかったんじゃないか・・
って気がするんだけど)
別に貸すのが嫌って訳じゃないんですけどね、
でも一応、パソコンって「ぱーそなるこんぴゅーたー」なんですよ。
パーソナルなもんなんです。個人情報満載だし、
うっかりクリックしたら何が出てくるやら・・・ドキドキも満載です。
でも、弟だから、姉弟だから良いよって気軽に言える訳です。
それをねー、当たり前って思ってもらっちゃー困るんです。
いくら、近くに住んでるからって。(徒歩10分)
悪気がないことも、分らないからだって事も分ってますが、
分ってはいますが・・・・
でも、私が心の中に「ムッッ(怒)」を感じた事もまた事実で。
今までなら、まぁでも我慢するかと、その怒りを黙殺するよう
自分で自分の心をなだめ納得させるように仕向けたんですけども。
もうそんなのは、本当はいけないんだと私は知ってしまったんです。
自分の感情は黙殺なんてしちゃいけないって。
誰も彼も自分の感情中心に生きていて
それが当たり前で、それが自然な事なんだって。
で。↑って言うなら・・・
私だってそうであって悪いはずがないじゃないか・・って。
怒ったって、ムカついたって良いじゃんか、って事に
何も、その自分の中に起こった「怒り」と言う感情を
無かったことに・・なんて頑張る必要は全然無いんだって事に
この弟の一件を心の中で昇華しようとして途中でやめて、
気付いたんでした。
自分は自分以上の人間にはなれない代わりに
自分以下の人間になる事も無い訳で
思うように自分が心をコントロール出来ないからって
自分で自分を卑下する必要はないし
ましてや、自分を責める必要も無い。
逆に。自分に沿わないような理想の自分を無理やり自分に
被せようとしてもダメな訳で。
あるがままの自分以上の自分を、勝手に自分自身に求めては
いけないんですよね。
それじゃぁ、いつまで経っても自分で自分を認めるなんて事、
死ぬまでできる訳が無いんです。
今感じている感情が、今の自分のありのままの姿。
怒り、イラつき、羨ましがりしている自分が
それそのものが今の本当の自分の姿。
でもそれが、悪い訳じゃない。
だって、まだ私は進化の途中なんだから。
怒ったって良い。
その感情だって大事な私の一部。
私は今日、弟にムカついた。
それが、今の私自身の感情。素直な今の自分の心。
それが今の私の立ってる場所。
光り輝く美しい場所を目指したい、そう思ってはいるけれど
でも、今は私はここにいる。それが今の自分。
弟との些細な一件で得た「ムカつき」と言う感情のおかげで
今の自分のいる場所に気付けた気がした私だったのでした。
今出来ることを
2009-06-25-Thu-23:29
今日は密かに(?)パートの面接に行きました。
密かに、の理由は周りに賛成されての仕事ではなかった事と(^^;
決まる前に叱られる、のが嫌だったのでとりあえず・・面接だけと
無理を押して行きました。(面接が夕方からだったので)
でも、結果は聞くまでも無く(月末に結果報告があるそうですが)
×××。やっぱり中途半端はアカンなぁと思い知らされる面接と
なりました(^^;
やっぱり、そもそも。仕事をするかどうか?なんて迷ってる時点で
受かるはずがない訳で。本気度の差をありありと感じさせられ、
甘ちょっろい自分を嫌と言うほど自覚させられた私だったのでした。
そしてその夜(ってまぁさっきですが)
ドタバタの後、やっぱり凹みから苛々してしまい
娘達の寝かせつけに付き合ってあげなかった鬼母な私。。
苛々したまま洗い物をし、部屋を片付けていたら二階で
『ドッスンッッ!!』とすごい音が。
いつもならすぐ登っていくんですが・・今日は↑ソレにて
しばらくしてから(嫌々)二階に上がっていくと
ベッドの下に何故か下の娘が転がっていて。
私が睨みつけた瞬間、泣き出しました。
(それまでベッドの下に転がったまま泣かずにいたらしい・・)
子供達のベッドには柵がしてあるので、普通の状態なら
絶対に落ちる事は無いはずなのです。それなのに何故っ!?
ココに落ちてる!??っっと苛々が増した私。。
でも。あぁ・・・と。
今日は私が一緒に二階に上がってやらなかったから。
眠れなくて、下で私が洗い物をしてる音を聞きながら
1人で柵のとこに座って私が来るのを待ってたんだ・・
と気付いて。
気付いたら、涙が出てきて。
私って何やってるんだろうと。。。(涙)
今、私が一番必要とされてる場所はここじゃないかって。
腕の中でワンワン泣いてる娘を抱き締めながらやっと分り。。
仕事なんて、外で働くのはいつでも10年後でも出来る事じゃないかと。
よくある子育て本には
「抱き締めてあげられる時に一杯抱き締めてあげて下さい」
なんて書かれているけれど。
そんな事!別に言われなくたってしてあげたいって思ってるわって
思ってきたけれど。
この感覚が、本当にそうなんだと・・・・
泣いている4歳の娘を抱き締めながら実感したのでした。
そして、娘を抱き締めながら、ふと
私自身が4歳の頃は何を思ってたんだろう・・・?
どんな子供だったんだろう・・・?
どんな風に母に育ててもらっていたんだろう・・・?
なんて。
娘の中に自分の4歳の頃の事を考えてしまいました。
(もちろん、記憶なんて全然無いんですけども(^^;)
でも、心の中で「どうぞ娘の心を癒してください・・
そして、4歳の頃の私自身も癒してください」そう思いながら
娘にレイキを当ててみたりしました。
もちろん、それで何がどう?と言う事は分らないんですが。
ただ、程なくしてすやすやと眠りについた娘の顔を見ていたら
今、出来る事をやるしかないんだ・・と言う気持ちと
今、出来る事は今しか出来ないんだ・・と言う気持ちで
だんだん心が満たされてきて。
これを知る為に、今日は面接に行ったんだ・・私は、と
気付いた気がしたのでした。
だって。今日の面接で、62歳でパソコン教室に通って
就職活動をしている方に出会ったんですから!!
働こうと思えば、その気持ちさえ本気ならば、
行動する事はいつでも出来るはず。
それが本気の気持ちならば、必ずやろうとするはず。
だから今は、焦らずにゆっくり時を待とうと
負け惜しみじゃなく(^^;思ったのでした。
抱き締められる今を大事にしよう・・・と。
そして忘れないようにここに記そうと思ったのでした(^^)
密かに、の理由は周りに賛成されての仕事ではなかった事と(^^;
決まる前に叱られる、のが嫌だったのでとりあえず・・面接だけと
無理を押して行きました。(面接が夕方からだったので)
でも、結果は聞くまでも無く(月末に結果報告があるそうですが)
×××。やっぱり中途半端はアカンなぁと思い知らされる面接と
なりました(^^;
やっぱり、そもそも。仕事をするかどうか?なんて迷ってる時点で
受かるはずがない訳で。本気度の差をありありと感じさせられ、
甘ちょっろい自分を嫌と言うほど自覚させられた私だったのでした。
そしてその夜(ってまぁさっきですが)
ドタバタの後、やっぱり凹みから苛々してしまい
娘達の寝かせつけに付き合ってあげなかった鬼母な私。。
苛々したまま洗い物をし、部屋を片付けていたら二階で
『ドッスンッッ!!』とすごい音が。
いつもならすぐ登っていくんですが・・今日は↑ソレにて
しばらくしてから(嫌々)二階に上がっていくと
ベッドの下に何故か下の娘が転がっていて。
私が睨みつけた瞬間、泣き出しました。
(それまでベッドの下に転がったまま泣かずにいたらしい・・)
子供達のベッドには柵がしてあるので、普通の状態なら
絶対に落ちる事は無いはずなのです。それなのに何故っ!?
ココに落ちてる!??っっと苛々が増した私。。
でも。あぁ・・・と。
今日は私が一緒に二階に上がってやらなかったから。
眠れなくて、下で私が洗い物をしてる音を聞きながら
1人で柵のとこに座って私が来るのを待ってたんだ・・
と気付いて。
気付いたら、涙が出てきて。
私って何やってるんだろうと。。。(涙)
今、私が一番必要とされてる場所はここじゃないかって。
腕の中でワンワン泣いてる娘を抱き締めながらやっと分り。。
仕事なんて、外で働くのはいつでも10年後でも出来る事じゃないかと。
よくある子育て本には
「抱き締めてあげられる時に一杯抱き締めてあげて下さい」
なんて書かれているけれど。
そんな事!別に言われなくたってしてあげたいって思ってるわって
思ってきたけれど。
この感覚が、本当にそうなんだと・・・・
泣いている4歳の娘を抱き締めながら実感したのでした。
そして、娘を抱き締めながら、ふと
私自身が4歳の頃は何を思ってたんだろう・・・?
どんな子供だったんだろう・・・?
どんな風に母に育ててもらっていたんだろう・・・?
なんて。
娘の中に自分の4歳の頃の事を考えてしまいました。
(もちろん、記憶なんて全然無いんですけども(^^;)
でも、心の中で「どうぞ娘の心を癒してください・・
そして、4歳の頃の私自身も癒してください」そう思いながら
娘にレイキを当ててみたりしました。
もちろん、それで何がどう?と言う事は分らないんですが。
ただ、程なくしてすやすやと眠りについた娘の顔を見ていたら
今、出来る事をやるしかないんだ・・と言う気持ちと
今、出来る事は今しか出来ないんだ・・と言う気持ちで
だんだん心が満たされてきて。
これを知る為に、今日は面接に行ったんだ・・私は、と
気付いた気がしたのでした。
だって。今日の面接で、62歳でパソコン教室に通って
就職活動をしている方に出会ったんですから!!
働こうと思えば、その気持ちさえ本気ならば、
行動する事はいつでも出来るはず。
それが本気の気持ちならば、必ずやろうとするはず。
だから今は、焦らずにゆっくり時を待とうと
負け惜しみじゃなく(^^;思ったのでした。
抱き締められる今を大事にしよう・・・と。
そして忘れないようにここに記そうと思ったのでした(^^)
真実を知る事の意味
2009-06-24-Wed-10:33
昨日の夜。偶然つけたテレビ(日テレのゼロです)で
昨日の6月23日が沖縄戦の「慰霊の日」であった事を知りました。
(恥ずかしながら、この歳まで知りませんでした。)
小学校の頃だったかに夏休みの読書感想文の宿題で
「ひめゆりを巡る人々」を斜め読みした記憶はあったんですが
(↑今、検索してみたところ図書の正式名は’ひめゆりの塔をめぐる人々の手記’でした)
当時は、あくまでも「宿題の為に」読んだだけだったようで、
その本の内容はおろか、↑題名さえも記憶に残っていませんでした。
何とも、勿体ないことをしてしまったものだと・・・思います。
話は反れましたが。
その番組で、生き残られた方が語っていた言葉が心に残りました。
「真実を知っていれば、皆死なずにすんだのだ」と。
真実さえ知っていれば、集団自決などしなかったろう・・・と。
その言葉に、真実を知る事の意味を突きつけられたような気がしました。
どんな事であれ、日常の些細な事であっても
真実を見抜く目と、真実を見ようとする気持ちを忘れてはいけないのだと
そう何故感じるのか・・、その答えがそこにあるのかも知れないと
そう、教えられた気がしたのでした。
何故か、聞くたびに心が震える「島唄」。
宮沢和史さんが、この歌を作った時の気持ちが
この沖縄戦の真実を知ったときに感じた、強い怒りの感情だったという事や
そして、その戦争で命を落とされた人達の魂を空へ解き放ちたい・・と言う
願いで作ったのだと言う逸話を聞き、、何故これほどにこの歌に力があるのか
聞く人の心をこれほどに心震わせるのか・・分った気がしたのでした。
もう人生の半分を生きてきてしまった今頃になって言うのも、気付くのも
何だか勿体なかったような残念な気がしてならない事ですが・・、
これからは、もっともっとちゃんと色んな事を吸収して生きたいと
そして出来るだけ正確な事実を知り(知らない事は調べたりして・・)
ちゃんと真実を、思い込みから出してしまう言葉じゃなく真実を
この先を担って行く、続く未来の子供達に伝えていくのが
親になった自分自身の責任なんだと、改めて思いました。
昨日の6月23日が沖縄戦の「慰霊の日」であった事を知りました。
(恥ずかしながら、この歳まで知りませんでした。)
小学校の頃だったかに夏休みの読書感想文の宿題で
「ひめゆりを巡る人々」を斜め読みした記憶はあったんですが
(↑今、検索してみたところ図書の正式名は’ひめゆりの塔をめぐる人々の手記’でした)
当時は、あくまでも「宿題の為に」読んだだけだったようで、
その本の内容はおろか、↑題名さえも記憶に残っていませんでした。
何とも、勿体ないことをしてしまったものだと・・・思います。
話は反れましたが。
その番組で、生き残られた方が語っていた言葉が心に残りました。
「真実を知っていれば、皆死なずにすんだのだ」と。
真実さえ知っていれば、集団自決などしなかったろう・・・と。
その言葉に、真実を知る事の意味を突きつけられたような気がしました。
どんな事であれ、日常の些細な事であっても
真実を見抜く目と、真実を見ようとする気持ちを忘れてはいけないのだと
そう何故感じるのか・・、その答えがそこにあるのかも知れないと
そう、教えられた気がしたのでした。
何故か、聞くたびに心が震える「島唄」。
宮沢和史さんが、この歌を作った時の気持ちが
この沖縄戦の真実を知ったときに感じた、強い怒りの感情だったという事や
そして、その戦争で命を落とされた人達の魂を空へ解き放ちたい・・と言う
願いで作ったのだと言う逸話を聞き、、何故これほどにこの歌に力があるのか
聞く人の心をこれほどに心震わせるのか・・分った気がしたのでした。
もう人生の半分を生きてきてしまった今頃になって言うのも、気付くのも
何だか勿体なかったような残念な気がしてならない事ですが・・、
これからは、もっともっとちゃんと色んな事を吸収して生きたいと
そして出来るだけ正確な事実を知り(知らない事は調べたりして・・)
ちゃんと真実を、思い込みから出してしまう言葉じゃなく真実を
この先を担って行く、続く未来の子供達に伝えていくのが
親になった自分自身の責任なんだと、改めて思いました。


